静岡県静岡市ALMO HAIR VOGUE

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PROFILE

公私共に挫折だらけの人生が強くした。
挫折を知っている人間だからこそ強さも弱さも知っています。


昭和62年 静岡の田舎町に農家の次男坊として生まれました。オシャレとは無縁の家庭の中で育ちました。ふとした頃からおしゃれは楽しい、美容は楽しいと思うように…。高校在学中、大学へ進学しても自分の性格上遊んで4年間を無駄にしてしまうだろうと思い、手に職をつけるために美容師を目指すことを決断。兄が進学していたこともあり両親は反対。将来食べていけるのかと…。世間を全く知らない私は美容師になりたい欲を止められず両親を説得後、東京の専門学校(山野美容専門学校)に入学させてもらう。

憧れの東京 夢への一歩 都会の生活

1日も早く静岡の田舎町を出て大都会東京での生活に…。ものすごい憧れを抱いていた。東京での生活は何もかもが輝いて見えた。私の通っていた美容学校は日本一と言ってもいいほど名の知れたマンモス校だった。当時カリスマ美容師ブームの少し後だったからか、同期の人数は1000人を超えていた。しかし卒業する頃にはかなりの人数がリタイアしていた…。当時通っていた青山の有名サロン(今もなお有名サロン)に憧れ面接を受けるも不採用…。悩んだあげく誰も知らない土地、横浜へ行こうと決断。

神奈川、東京に展開する大手美容室への入社

会社説明会に行った際「ここだ!楽しそう!」と直感で入社を決断。都会で仕事をしたかった為、横浜駅のサロンに配属が決まった。田舎から出てきた同期が3人、先輩が3人、店長、副店長と8人でのサロンワーク。セット面8席、シャンプー台3台の小さいサロンだったが、店の外でお客様が待つほどの人気サロンで毎日多忙な美容師生活だった。カリキュラムを合格し100人もモデルカットをしないとデビューできないサロンだったので、営業後練習しながら終電まで横浜駅前でモデルハントする日々。会社の同期200人の中で2番目のスピードでカリキュラム、モデルカット、売上をクリアして異例のスピードでデビュー。

初めての挫折 半年間の無職生活

今まではレールに沿って生きてきた人生だった。全てがうまくいっているつもりが壁にぶち当たり、身体的にも精神的にも限界で食事も喉を通らず、逃げるように退職、そして静岡に戻った。
今までは目指す先があり、毎日寝る暇もなく働いていた。糸が切れたかのようにトコトン落ち込み、引きこもった。恥ずかしながら、実家に甘え、毎日淡々と過ぎていった。

美容師を続けるか 諦めるか

人生で一番悩んだ時期。社会とは何か、自分のケツは自分で拭けとは言ったもので、自分の人生は自分で責任を持って進んで行くしかないとこの時に実感。決めたことは絶対にやり遂げると決意。再度、都会で美容師をチャレンジしようと決断。

再度 横浜 みなとみらいへ

選んだ美容室は4店舗ほど経営している中規模サロン。オーナーとの距離も近く、スタッフとの距離も近いみなとみらいのサロンに就職。撮影の仕事やハイクオリティーな技術を学ぶも店舗縮小の為、配属先の店舗が閉店。

公私共に新しい環境にチャレンジ

働く場を失った自分は私情も重なり、日本の内陸、地方都市の長野へ…。長野では県下最大規模のサロンに就職。右も左も分からない土地長野での美容師生活。毎日必死だった。人材教育、人間力スキル、数字管理など多くのことを学ぶきっかけになった。

夢であった30歳までの独立

地元静岡に帰省。静岡の美容事情を知る為にも田舎の地元からすぐの個人サロンに入社。
駅からも遠い地元サロンを選んだ理由は集客力を学びたかった為。いち早くSNSを活用し、どうしたらお客様お店を、
そして自分を知ってもらうか試行錯誤を繰り返し、自己ブランディングを身につけ、ALMO hair designをオープン


私がこれまで都会から地方、大手サロン、中規模サロン、個人サロンとたくさんの経験を積ませていただいたことは、周りの支えてくださった方々のおかげだと感謝しております。
常々先を見据えて向上心、好奇心、感謝の気持ちを持って毎日を過ごしております。また、日々生活していくなかで思いがけないトラブルや辛い事、大変な事が起こりますが、失敗はないと思っております。諦めた時、それが失敗なんだと思います。今後とも成長し続け、美容を通じて地域、貢献、美貢献できるよう務め、今後もこれからも出会う人人々を大切に、一緒に成長していく事が私の使命だと思っております。